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部長
「ビッグゲーム前のチームではなにかセレモニー
的なものはあるんですか?」
大北さん
「早慶戦とか慶明戦の前日は、盛りあげ練習、通
称≪もりもり≫がありまして。1、2年生のレギュラ
ー以外がひたすらランパス、セービング、あと押し
相撲なんかを3時間ぐらいやるんです。グランドに
はレギュラーはいません。建物の中にいるレギュラ
ーは、外でのもりもりの声を聞いてプレッシャーを
感じる。自分達以外の試合に出られない部員の声
を一身に受けるというか。で、結果的に一体感が
得られるという。あとはジャージ授与式です」
部長
「試合直前のロッカー風景は?」
大北さん
「上田監督はロッカーを真っ暗にしてライターを付
け、それをみんなで見て集中させるとかそういうの
もありました。さっき話した鬼コーチはたった一言
しか言わない。その一言でみんなが泣いてしまうよ
うな言葉です」
大北さんが2年生の時、慶応大学は上田監督のもと、大学選手権優勝、日本選手権でトヨタに勝ち日本一に。そして3年生から2年間、大北さんは慶応の黒黄(こっこう)ジャージに袖を通します
部長
「自分が上級生になってからは、下級生にはどう接
したんですか?」
大北さん
「自分がやられたのと同じことを下の子にするのは
イヤやったんで、優しい先輩でした 笑。それより、
もうジャージが重くて」
部長
「重い?」
大北さん
「黒黄を着る15人に対して、着られない85人がい
るんです。そのプレッシャーをいつも感じているの
で重くて重くて。前の年に日本一になって、やっぱ
りすごく部に注目が集まりますよね。取材もすごい
数やし、ギャラリーも多くて。でも3年の春シーズン
以降、戦力がガタ落ちして、招待試合を全国でさ
せてもらいましたがボロ負けすることもありました。
秋も下位チームとの差が縮まってしまい、先輩やO
Bからのプレッシャーはもうすごかったです。4年
生では春シーズンは強かったけど明治、早稲田、
東大に負け、5位。大学選手権にも出ることなく、
低迷期に入ってしまいました。自分自身もシーズ
ン前に足を骨折してしまい、シーズンを棒にふって
しまいました」 |
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部長
「そして卒業後は?」
大北さん
「関東社会人1部リーグに所属する社会人チーム
(清水建設)で8年間プレーしました。同じリーグに
はIBMやセコムがいました」
部長
「そこではどうでした?」
大北さん
「本当にラグビーが好き、という人が多く、自分のプ
レーの幅が広がりました」
その後はいろんなレベルの人が集まるチームでラグビーを楽しむ大北さん。「これぐらいの年齢になると高校日本一、という人でも特に大きな差を感じることはないんですよね、不思議と。それで、そういうチームではまず、グランドを取るところから始まる。そんな苦労も知らずにずっとプレーしてたんで。極端な話、ボール1個、いくらするかも知らなかったんですよ 笑」
取材後、3人でパチリ
☆取材後記☆
高校からラグビーを始めた大北さん。大学では苦しい練習を耐え抜き、その結果「どんなことがあっても怖くない」と言い切れるほどの経験とは、どんなものだったんでしょうか。いろんなエピソードをお聞きするにつけ、想像を絶するものだということだけはわかりますが、これは経験者にしかわからない世界。ベタかもしれませんが汗と涙の毎日だったのだろうと思います。でも、ちょっとしたすり傷がお風呂で破傷風寸前になってしまう…ひえー!!でした。お話の中、頻繁に出てくるラグビーでは有名な人名や学校名があんまりわからず、レポーターの頭の中はまたしても『???』だらけでした。
ともあれ、たくさんの貴重なお話、ありがとうございました!またラグビー部マーラーにお越し下さいね。お待ちしています! |
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